現在はテニスに愛。クリマイ感想等は休止中。
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パート3
part3
http://www.youtube.com/watch?v=odThoMpg5cs&feature=plcp
プロ転向:
・才能に問題はなかったが(以下略
・とかく集中力が続かず、ゲームを自分でぶち壊す
・3年間ひとつもタイトル獲れず
・ミラノ大会で初優勝、そこから少しずつ自分をコントロールすることを学び始める。
・2001年のデビスカップでPマッケンロー(アメリカチーム)は初めてフェデラーのプレーを目の当たりに。
・教訓「あの男(フェデラー)にボールを渡したら終わりだわ」www
・フェデラーが触ったボールは全てウィナ―になった。既に頭一つ抜けた技術力。
・2001年ウィンブルドン、フェデラーはサンプラスを撃破
・↑初めてのセンターコートだった
・その勝利から、周りの期待がフェデラーに重くのしかかるようになった
(フェデラー個人の夢が”みんなの夢”になってしまった)
・あれだけの才能があるんだから、勝つのが当然?
・また勝てない時代が続く。「なぜ勝てない?」とガンガン叩かれる
(・フェデラーは「誇大広告」とまでいわれるように)
・そんななかフェデラーに最も大きな影響を与えてきたピーター・カーターが交通事故で亡くなる
(フェデラーが強くすすめた旅行先での事故だったことも、フェデラーに打撃を与えた。この訃報をフェデラーはトロント大会の夜に聞いたが、ショックから立ち直れず、次の日の試合は敗退。周りからすると「まるで狂ってしまったみたいだった」というほど取り乱し、その後の大会も初戦敗退(or4回戦敗退)が続くことに。そんなフェデラーにカーターの両親は「ロジャー、僕らにはみえたよ、君のテニスの中に、息子が生きているのを。僕らが君を応援している時、それはカーターを応援しているかのようだった」と声をかける。フェデラーはグランドスラムでの勝利をカーターに捧げると泣きながら誓い―――そして運命の2003年ウィンブルドン、フェデラーは初優勝を遂げる)
・その頃から負けようが勝とうが、心が乱れることが少なくなってきた
その4に続く
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